楠トンネル
赤煉瓦事務所付近の道は百メートル余りありますが、その道の両側に大きな楠が全部で36本立ち並び、さらにその間を茄苳木が埋めていますので、中を歩くと、一面青緑色に染められる美しい緑のトンネルになっています。樹齢が90にもなった楠はそれぞれ独創的なかたちで、そびえています。また、入り口にある陶板でできた表札は当地の書道家が書いて、文化園に滞在していらっしゃったアーティストの王紀明氏が焼いたものです。 |
赤煉瓦の老木
赤煉瓦事務所の前に総爺糖場の歴史をずっと見守ってきた老木が、百年前から今も変わらずやさしい姿で人々を迎えています。ここは文化園に入る最初のステーションであり、老木の丈夫な幹と高い枝がつくりだす緑影は、夏の暑い日ざしの中では、最高のもてなしとなるでしょう。 |
紫檀の木に根一本
文化園の正門を入ると、高さ28メートルの紫檀の木が淡い香りでお客さんを迎えます。不思議な事にその粗大な幹にガシュマロの根が一本沿うように上まで登っています。 |
古い蒸気機関車
赤煉瓦事務所の南側に古い蒸気機関車の前部が置かれています。台糖麻348号の番号をつけたこの蒸気機関車は、1948年に造られ、さとうきびを運搬していました。長い台車を引っ張って、緩やかにレールをすべり、踏み切りを渡るときに響くあの耳慣れた汽笛の音は、今までもそれを知る人々の心にいきいきとよみがえるにちがいありません。 |
孤独な石車
蒸気機関車の前部に黙っている横にされた石車は昔さとうきびの汁を絞り取るための道具でした。石の磨き盤の上に石車を二つ置きます。一つは固定し、もう一つを牛のちからを借りて動かします。さとうきびを石車の間に入れ、汁を縛り取って製糖しました。石車は二つありましたが、今残っているのは一つだけです。 |
防空壕
園内に防空壕があちこち見られ、戦争の傷跡として残っています。防空壕は糖場にとって必要な施設でありました。総爺糖場には、古い機関車の東側、赤煉瓦事務所の東側、和式庭園の地下、旗をあげる台の西側、駐車場の西側、書斎倉庫の北側と幹部宿舎の北側の7箇所に現存します。それぞれが異なったつくりで、興味深い古跡です。 |
果樹草原
楠の緑のトンネルから東に向かえば、平らで広い青々とした草原があります。これは糖場宿舎を取り壊した後、シルバー槌球クラブのメンバーたちの有志によって実現しました。一面の緑に老木が点在するすばらしいところです。なかでも果樹であります、竜眼、スターフルーツ、マンゴー、レンブ、山刺果などが、お互いに寄り添い、また列になって、まるで、桃花源のようです。木蔭で槌球するもよし、談話を楽しむのもよし。
さらに面白いのは、北側の果樹で、道の東側にあるスターフルーツの木と道の西側の竜眼の木の2本をじっくり見ますと、総爺のしるしの「爺」という字が自然に作られているのです。
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木に包まれた木
社長宿舎の庭園に大王椰子を包み込んでいるガジュマロの木が1本あります。すべすべした椰子の木をどうやって包み込んだのか、誰もが好奇心を持つところです。2次世界大戦中に、米軍が糖場を爆撃した際、弾丸が椰子の木に当たり、穴があきました。その後、ガジュマロの木が穴の中に生え、時とともに、驚くほど成長して、今のようになりました。園内にはこのような木に包まれた木がいたるところ、特に草原の果樹に多く見られ、戦争はここにも刻まれています。 |
珍しい樹木群
園内には珍しい老木がたくさんあり、みんな総爺糖場とともに育ってきました。主に次のようなものがあります。 赤煉瓦事務所の南側
――蕭壠老ガジュマロ(蕭壠糖場から移植して来ました) 木造案内所の西側 ――羅漢松(4本;ほかに赤煉瓦事務所の東側に3本)、野生オレンジ
赤煉瓦食堂の東側 ――玉蘭花 社長邸宅の東側 ――金絹竹、板根、白レンブ、人心果 社長邸宅の西側 ――ライチ、馬氏射葉椰子
社長宿舎の南側 ――白千層、楠木火竜果、金亀木 次生林区 ――麻六甲合歓(3本) |
古井戸
上水道が整備される前は、園内の飲用水はすべて井戸に頼りました。今も井戸が4つ残り、歴史的景観になっています。場所は赤煉瓦事務所の北側、果樹草原内、社長邸宅の西側と総爺小学校前です。 |
神社石獅子
今の総爺小学校の前身となった日本神社には石獅子が二頭そなえられ、天照大神がまつられていました。戦後、神社を取り除き、跡地に糖場社員の子弟のための小学校が開設され、その石獅子もキャンパスの隅に放置されたままでした。民国91年(2002年)に総爺小学校の校長になった謝耀宗氏がキャンパスを美化するために、石獅子を取り出し、事務室の階段前に設け、今では学校の景観の一つになりました。 |
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