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Nan-Ying Tsung-Yeh
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県知事の挨拶
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ナンイン総爺文化園の歴史
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古跡のみどころ
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園内逍遥
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美しい自然
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◎県知事の挨拶
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Photo台南県政府 蘇煥智
台湾に、これほど美しい文化園はありません。地域の有志の方々及び政府機関の協力で、廃業された総爺糖場の跡地は「ナンイン総爺文化園」として、新しく甦りました。古跡の整備、廃棄スペースの再利用、町の活性化、文化的アイディアの創造、さまざまなアーティストの招待や滞在等、この文化園を中心として、町を国際芸術村として発展させたいと思っています。
長い緑のトンネル、やさしい風ときらめく光の中で、皆様をお待ちしています。文化園のよさと美しさを味わいに是非おいでください。この美しい園をめぐりながら、古跡、草原、木々、そして動物たちと、ともに語り、ともに過し、そのかけがえのない友情をわかちあえますように。

発行人:蘇煥智
出版:台南県政府 / 制作:台南県政府文化局 / プリント:ナンイン総爺文化園 / 総編集長:葉澤山 / 副総編集長:姜博智/執行編集:黃文博 / 文字:梁維新、李俊賢 / 顧問:梁茂隆、許清保 / 撮影:謝玲玉、莊孟憲、顏聖哲 / デザイン:李男オフィス / 日本語翻訳:張淑娥 / 出版日:2003年12月
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◎ナンイン総爺文化園の歴史
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Photo「ナンイン総爺文化園」の前身は「麻豆総爺糖場」です
「ナンイン総爺文化園」の前身は「麻豆総爺糖場」です。林波氏を中心としてこの地に「麻豆製糖工場」が創立されましたが、明治39年(1906年)12月、日本三菱会社の渋沢栄一氏、武田守正氏などが「明治製糖株式会社」を提唱し、翌年、政治手段を使い、強制的に麻豆製糖工場を購買、運営し、砂糖業界で覇を唱えました。製糖工場は日本に3か所、上海に1か所、台湾には総爺のほかに蕭壠、烏樹林、南靖、蒜頭、溪湖と南投の6か所にありました。

明治43年(1910年)、台湾総督府が各地製糖工場のさとうきび原料区を調整、砂糖の需要拡大により蕭壠製糖工場に、総爺が新しい工場として加えられ、技師の安田昌氏が監督になりました。9月から工事が始まり、翌年の6月までの僅か10か月で、事務所、修理工場、駐車場、郵便局、医務所、招待所、宿舎などの建物が76軒でき、明治製糖株式会社の本部がここに設置されました。

Photo戦後(1945年)台湾省長官公署から台湾に日本人が経営した各製糖工場を譲渡されました
明治44年(1911年)4月からは、総爺製糖工場内でいろいろな設備の設置を行い、12月には、蒸発室、結晶室、砂糖室、気缶室、搾り室などの各種機械のすべてが完成、その翌年(1912年)1月から製糖が始まりました。

戦後(1945年)台湾省長官公署から台湾に日本人が経営した各製糖工場を譲渡されました。1946年、明治製糖株式会社を「台湾糖業公司第三区支社」に変名、本部は常に麻豆総爺糖場に置かれました。民国39年(1950年)7月に、支社を取り消し、「総爺糖場」に変更し、蕭壠、玉井、灣裡、三崁店、車路墘 などの糖 場も管理を受け入れました。

Photoナンイン総爺文化園の歴史
民国47年(1958年)7月に「麻佳総場」と変え、総爺糖場と蕭壠糖場を合併し、さらに民国63年(1974年)には総場を取り消し、「麻豆総爺糖場」に変えました。その後、世界の砂糖価格が下がりすぎたため、製糖コストが高すぎるのを原因に、台湾では生産中止の政策がとられました。麻豆総爺糖場も民国82年(1993年)に閉業となり、民国87年(1998年)煙突が取り除かれました。  その後台湾糖業公司は敷地を分割して貸出を行い、その代金と開発権利金を受け取るようになりました。

これに反対して、地元の人たち、林傳山氏、楊禎偉氏、梁茂隆氏、許清保氏と元立法議員の蘇煥智氏、そのアシスタントの陳俊安氏などが地域の人々の陳情を集め、総爺糖場の貸し出しの中止を希望し、さらに古跡への編入を国に申し込みました。

Photoナンイン総爺文化園の歴史
1998年9月に、台南県政府から王啟宗氏、李乾朗氏、林會承氏、洪敏鱗氏、傅朝卿氏、薛琴氏を古跡審察員として招き、その審査により麻豆総爺糖場は「3級古跡」となり、11月19日に正式に公告されました。古跡を生かすと共に放置されたスペースを再利用するために、台南県政府はここに「ナンイン総爺文化園」を成立し、民国90年(2001年)11月4日以来、開設しております。
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◎古跡のみどころ
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古跡に認定された麻豆総爺糖場の総面積は2.16ヘクタールにおよび、赤煉瓦事務所、木造案内所、赤煉瓦食堂、木造社長宿舎、日本庭園が数々の老木の間に点在しています。
Photo赤煉瓦事務所
赤煉瓦事務所 
麻豆総爺糖場の事務所は2階建の赤煉瓦造りで、民国元年に建てられました。当時は本部の事務所でもあった、正方形の立派な外観の建造物ですが、装飾はむしろ簡素であり、明治製糖の特色である、効率を重視した、厳格な人事管理および徹底した社内教育を反映しているかのようです。反面、社員には安定したいい待遇が与えられました。このような経営方針が事務所に風格をあたえています。現在は芸術作品の展覧会場で、有名な作品もしばしば展示されます。
Photo木造案内所
木造案内所 
元々は社員クラブであり、京風の木造2階建てです。その広い純和風の庭は、仕事の合間に心からくつろげる空間をつくりだすために設計されたものです。建物も赤煉瓦事務所に劣らず、価値の高い建造物です。
Photo赤煉瓦食堂
赤煉瓦食堂 
赤煉瓦食堂は木造案内所の横にあります。正門はバロック式の飾りで、赤と白の対照が鮮やかです。中は東西2つの部屋に分かれ、東側の小さい部屋は幹部専用、西側の広い部屋は一般社員の食堂として使われました。両方とも幅が広く、南国の強い日差しが中にはいりこまないので、静かにゆっくりと食事ができます。廊下に立つと、庭園が目の前に広がり、気持ちが落着く空間です。赤煉瓦食堂の西側は「自由ホール」となります。これは民国43年(1954年)頃に増築したものであります。そのころ、大陸反抗義士が自由を求め、台湾に渡ってきたので、それを歓迎した管理層の意見を尊重して政治色の濃い命名となりました。
Photo木造社長邸宅
木造社長邸宅 
社長邸宅は木造で、高くて広い建物です。庭がニ千坪余り、花や草木がたくさん植えられ、さらに南側には日本庭園もある、立派な住まいです。以前は、普通の人は立ち入り禁止でした。
Photo日本庭園
日本庭園 
赤煉瓦事務所の北側に日本庭園がかつてありました。今でも石の灯篭や小橋流水などが残っており、当時の風雅な庭を偲ばせます。特に石の灯篭は、日本庭園の独特の景観をかもしだし、より一層美しさを添えます。小橋流水には、木々が青々と茂り、清らかな佇まいです。
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◎園内逍遥
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30ヘクタール余りの園内全てが、花とみどりにおおいつくされ、自然な美しさに溢れています。
Photo楠トンネル
楠トンネル 
赤煉瓦事務所付近の道は百メートル余りありますが、その道の両側に大きな楠が全部で36本立ち並び、さらにその間を茄苳木が埋めていますので、中を歩くと、一面青緑色に染められる美しい緑のトンネルになっています。樹齢が90にもなった楠はそれぞれ独創的なかたちで、そびえています。また、入り口にある陶板でできた表札は当地の書道家が書いて、文化園に滞在していらっしゃったアーティストの王紀明氏が焼いたものです。
Photo赤煉瓦の老木
赤煉瓦の老木 
赤煉瓦事務所の前に総爺糖場の歴史をずっと見守ってきた老木が、百年前から今も変わらずやさしい姿で人々を迎えています。ここは文化園に入る最初のステーションであり、老木の丈夫な幹と高い枝がつくりだす緑影は、夏の暑い日ざしの中では、最高のもてなしとなるでしょう。
Photo紫檀の木に根一本
紫檀の木に根一本 
文化園の正門を入ると、高さ28メートルの紫檀の木が淡い香りでお客さんを迎えます。不思議な事にその粗大な幹にガシュマロの根が一本沿うように上まで登っています。
Photo古い蒸気機関車
古い蒸気機関車 
赤煉瓦事務所の南側に古い蒸気機関車の前部が置かれています。台糖麻348号の番号をつけたこの蒸気機関車は、1948年に造られ、さとうきびを運搬していました。長い台車を引っ張って、緩やかにレールをすべり、踏み切りを渡るときに響くあの耳慣れた汽笛の音は、今までもそれを知る人々の心にいきいきとよみがえるにちがいありません。
Photo孤独な石車
孤独な石車
蒸気機関車の前部に黙っている横にされた石車は昔さとうきびの汁を絞り取るための道具でした。石の磨き盤の上に石車を二つ置きます。一つは固定し、もう一つを牛のちからを借りて動かします。さとうきびを石車の間に入れ、汁を縛り取って製糖しました。石車は二つありましたが、今残っているのは一つだけです。
Photo防空壕
防空壕 
園内に防空壕があちこち見られ、戦争の傷跡として残っています。防空壕は糖場にとって必要な施設でありました。総爺糖場には、古い機関車の東側、赤煉瓦事務所の東側、和式庭園の地下、旗をあげる台の西側、駐車場の西側、書斎倉庫の北側と幹部宿舎の北側の7箇所に現存します。それぞれが異なったつくりで、興味深い古跡です。
Photo果樹草原
果樹草原 
楠の緑のトンネルから東に向かえば、平らで広い青々とした草原があります。これは糖場宿舎を取り壊した後、シルバー槌球クラブのメンバーたちの有志によって実現しました。一面の緑に老木が点在するすばらしいところです。なかでも果樹であります、竜眼、スターフルーツ、マンゴー、レンブ、山刺果などが、お互いに寄り添い、また列になって、まるで、桃花源のようです。木蔭で槌球するもよし、談話を楽しむのもよし。 さらに面白いのは、北側の果樹で、道の東側にあるスターフルーツの木と道の西側の竜眼の木の2本をじっくり見ますと、総爺のしるしの「爺」という字が自然に作られているのです。
Photo木に包まれた木
木に包まれた木 
社長宿舎の庭園に大王椰子を包み込んでいるガジュマロの木が1本あります。すべすべした椰子の木をどうやって包み込んだのか、誰もが好奇心を持つところです。2次世界大戦中に、米軍が糖場を爆撃した際、弾丸が椰子の木に当たり、穴があきました。その後、ガジュマロの木が穴の中に生え、時とともに、驚くほど成長して、今のようになりました。園内にはこのような木に包まれた木がいたるところ、特に草原の果樹に多く見られ、戦争はここにも刻まれています。
Photo珍しい樹木群
珍しい樹木群 
園内には珍しい老木がたくさんあり、みんな総爺糖場とともに育ってきました。主に次のようなものがあります。 赤煉瓦事務所の南側 ――蕭壠老ガジュマロ(蕭壠糖場から移植して来ました) 木造案内所の西側 ――羅漢松(4本;ほかに赤煉瓦事務所の東側に3本)、野生オレンジ 赤煉瓦食堂の東側 ――玉蘭花 社長邸宅の東側 ――金絹竹、板根、白レンブ、人心果 社長邸宅の西側 ――ライチ、馬氏射葉椰子 社長宿舎の南側 ――白千層、楠木火竜果、金亀木 次生林区 ――麻六甲合歓(3本)
Photo古井戸
古井戸 
上水道が整備される前は、園内の飲用水はすべて井戸に頼りました。今も井戸が4つ残り、歴史的景観になっています。場所は赤煉瓦事務所の北側、果樹草原内、社長邸宅の西側と総爺小学校前です。
Photo神社石獅子
神社石獅子 
今の総爺小学校の前身となった日本神社には石獅子が二頭そなえられ、天照大神がまつられていました。戦後、神社を取り除き、跡地に糖場社員の子弟のための小学校が開設され、その石獅子もキャンパスの隅に放置されたままでした。民国91年(2002年)に総爺小学校の校長になった謝耀宗氏がキャンパスを美化するために、石獅子を取り出し、事務室の階段前に設け、今では学校の景観の一つになりました。
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◎美しい自然
Photo底圖
総爺文化園の生態は、台湾でも珍しい、大変特色のあるものです。
Photo動物の生態
動物の生態 
調査によれば、園内には、鳥が29種類、両棲爬虫類が15種類、昆虫が54種類及び哺乳動物が3種類生息しています。その中で、鳳頭蒼鷹、黑冠麻鷺と赤尾モズは保護動物に認定されています。野原であまり見られない小琢木、五色鳥、小曲樹鵲などの鳥も見られます。ここの環境に最も適応しているのは掠鳥や綠繡眼です。

両棲爬虫類では、やはり諸羅樹蛙(Phacophorusarvalis)が総爺糖場における最も貴重な動物です。なぜなら、台湾特有の緑蛙で、世界中でも台湾にしか見られない上、台湾でも雲林、嘉義、台南の3か所でしか見つかった記録がありません。総爺糖場で発見された数は驚くほど多数でした。他にも白顎樹蛙、小雨蛙、水溜り蛙、蝎虎などの昆虫及び珍しい蝶類が10数種類あります。
Photo植物の生態
植物の生態 
調査により、植物が74種類、770本以上超える豊かな品種が生息し、まるで植物園のようです。各区域の環境によって、植物の種類や数にかなりの変化が見られます。
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長い緑のトンネル、やさしい風ときらめく光の中で、皆様をお待ちしています。
文化園の良さと美しさを味わいに是非おいでください。
この美しい園をめぐりながら、古跡、草原、木々、そして動物たちと 、
ともに語り、ともに過し、そのかけがえのない友情を分かちあえますように。
版型表格圖片 地址:721台南縣麻豆鎮南勢里總爺5號 電話:(06) 5718123 、5729082 FAX:(06) 5713800 服務信箱:tyart@mail.tnc.gov.tw
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